梅田スカイビルの現場に携わるということ
梅田スカイビル開業25周年おめでとうございます。
竣工から四半世紀もの時が経っているかと思うと
時が経つ早さに焦ると同時に、
梅田スカイビルが今でも斬新であること、
その建築に携われたことが、誇りでもあります。
コンペ時には動くギミックを取り入れた模型が作られていますが、
1本の超高層ビルが変形してビルの上空に空中庭園が繋がる姿には
見た事のない未来の超高層の姿がリアルに表現されていました。
梅田スカイビルのいたる所で目にする
複雑な模様に張り分けられた石仕上げの壁や床、
様々なデザインが施された光天井の照明、
鉄骨階段や手すり、換気塔など、
全て原広司氏が原寸でデザインしているといっても過言ではありません。
工事中、私は一番下っ端として現場に常駐していました。
現場では、設計図面では表現しきれていない部分について、
全てのデザインやディテールの検討を行う準備をします。
打合せには工事の担当者も同席し、
施工の意見もふまえながらデザインされていきました。
私たちスタッフはそれを作図し、現場に指示し調整する役割でした。
当時、まだキャドはおろかパソコンもありません。
インターネットや携帯電話などもなく、
今では必須なインフラやデバイスが何もない時代でした。
いったいどうやって巨大なプロジェクトの緻密な設計を進めていたのか。
ベニヤの製図板とワイヤ式の平行定規に
ロールのトレーシングペーパーを通し、
太さの違うシャープペンを使い分けながらで手で作図していました。
同じ図形があってもコピペなんてできません。
施工図の寸法をもとに詳細検討用の下図を作成するのですが、
縮尺はだいたい原寸からせいぜい1/20ぐらいまで。
必然的に展開図などは数メートルもある巻物のような図面ばかりでした。
苦労の上完成した図面が青焼きコピー機にからまってしまって
絶望を味わうこともしばしばでした。
25年経っても全く古びない建築は、
細部にいたってまで手を抜くことなく検討を尽くされています。
多くの人がこのプロジェクトに関わりアイデアを出しました。
その全員が共有していたイメージがコンペ時の動く模型でした。
そして、現実に空中庭園は2棟のビルの間を上昇して施工されました。
目標を共有した多くの人が熱意をもって取り組んだ手仕事の集大成なのです。