Blog

インタビュー記事掲載

住まいと人が集う空間のつくり手の「想い」を伝えるメディア「コノイエ」にインタビュー記事が掲載されました。
昨年末に知り合いの建築家から紹介を受け、私の事務所でインタビューを受けました。
建築家をめざすようになったきっかけや、設計をするときに大切にしてることなどについて
家を建てようとおもっている一般の人むけてわかりやすく話をしています。
気軽に読める記事になっていますので、ぜひごらんください。

ホームページをリニューアルしました!

このたび念願だったホームページのリニューアルが完成しました。
リニューアルにあわせ新たにツイッター(himalaya_hisano)も開設しました。
インスタグラム(Keitaro Hisano)とあわせ、このブログでもひきつづき情報を発信してまいります。
今後とも宜しくお願いします。

Sorry, now under construction. 

訪問ありがとうございます。
ただいまホームページの更新作業中のため、一時的に更新がとまっています。
(news、ブログのみ最低限の更新となっています。)
お仕事に依頼や相談など、ご連絡は info@k-hisano.com までメールを送ってください。
よろしくお願いします。

一級建築士事務所ヒマラヤ
久野啓太郎/ヒサノケイタロウ
神奈川県逗子市逗子7-1-57 カイナル逗子601

nibroll「リアルリアリティ」

0123nibrollnibroll新作公演「リアルリアリティ」を初日に世田谷のシアタートラム観に行った。東京でのニブロール公演は2年半ぶりだそうだ。まだまだ構成など荒削りな部分はあるがとても見応えのある面白い作品だった。これから回を重ねるごとに練り続けられさらに完成度が上がっていくのが楽しみな作品だ。初演を見れてよかった。
今回の新作は、とにかく矢内原美邦によるコンセプトが秀逸だ。
現代社会の漠然とした不安を鋭く指摘したコンセプトとその不安を嗅ぎ付ける彼女の嗅覚に脱帽する。

以下にコンセプトを書き記す

「リアルリアリティ」
身体を省略し拡張する

人はできるだけ動かなくてすむようにテクノロジーを駆使する
それに抗うつもりはない 楽がいい

それでもどこまで省略しようとするのか ふと不安になる

人々の想像は 遥か彼方にある場所や 過去や未来にある時間を
あたかも今ここにあるかのように具現化しようとする

それでも人は遠くでおこっている悲劇を想像することすらできない
そこにある身体を共有することができない

なにもない場所に立ち リアルのない時間を過ごし 言葉のない声を聞き カラダのない人に出会う
死はすぐそこにあり 無限で 確定的で
生きることはいまここにあり 限りがあり 不確定な未来にある

身体がなくてもいい時代を生きる私たちが実感できる身体をさがす

私たちは生きています

オープニングが圧巻だった。暗転から舞台にダンサーが現れ、踊りに注意が向いてるうちに背景の壁面は音もなく動き、舞台の中に領域を形成。ダンサーが壁を叩く瞬間から爆音が劇場に鳴り響き、舞台上に現れた壁面と、床に髙橋啓祐渾身の映像が投影され一瞬にして空間が変化する。情報が疾走し、情報としての人は個性を失い生死はっきりしない状態で存在する。そこには感情のないコンピューター音声による独白がミックスされ、現代の状況がリアルに演出される。身体としての肉体はその流れの中で苦悩しながらも危うげに存在する。
次のシーンでは一転ダンスは緩やかでゆっくりとしたものとなり、手足の動きや巧妙にシンクロされた振り付けのダンスがとても美しい。いままでにないニブロールが感じられる。
全体を通して過剰にデジタルで鮮やかな色彩の映像は逆に色味を感じないモノトーンの印象となり、現代社会の風景と重なり合う。それに反し衣装の色は特に印象的で照明の光がすごくキレイに衣装の色を出していた。音楽は延々となり続けるノイズと美しい声楽で構成されている。そこにもデジタルとリアルの対比が意識されている。
後半はまさに喪失と破壊、それに伴う回顧の演出が続く。雑多な物に埋め込まれたリアルな過去のイメージが徐々にデジタルに侵食されてゆく。壁の向こうには家具が高く積んであり、その上から作家らしき人物が身の回りの道具を捨てている。舞台上にリアルな音を立てて物が破壊され、場はフラットになっていく。背景のデジタルを象徴する映像がものすごいスピードでフラットに流れていく。そこに人の心はあるのか。最後には全くなにもない空虚な感じだけを残したエンディングとなった。
今がどういう状況にあり、どういう問題があるか、身体の意義とは何かについて伝え訴えた舞台であった。

テクノロジーの進歩にともなう環境の変化については建築の世界でも大きなテーマのひとつだ。建築で問題になるのは、特に情報機器が発達したことによる人と人との距離感の意味の変化についてだ。人は距離を関係なく会話でき、景色を見て、人の存在を意識することが可能となった。しかしそこに生身の肉体はおろか、時間さえ存在しない。そういった状況の中、建築はどうあるべきかという問題だ。そこで、ひとつの新たな価値観として、時間軸に沿った生身の人間の経験というテーマが見えてくる。そこに建築としてどう形にできるかという課題が見えてくる。

アップデート

WORKSページに
黒髪町の家(2012竣工)
京町の家(2011竣工)
駅西キューブ(2011竣工)
をアップしました。

アップデート

竣工からだいぶ時間がたってしまいましたが、

WORKSページに
津久礼の家
七里ケ浜の家
ばんさんげ
逗子の家
をアップしました!
よろしければ、是非のぞいてみてください。

原発

世の中、「反原発」一色になりつつある。

知識人から経済人、勉強不足な中学生アイドルまで。
メディアをあげてもう本当に反原発である。
しかし、なにかこのうねりのような風潮には正直、少々違和感を感じるのだ。
2004六ヶ所村
私は2004年に一年ほど仕事の関係で青森県むつ市に住んでいた。
下北半島にはたくさんの原発関連施設があってとても身近な存在でした。
六ヶ所原燃PRセンターにも足を運んだことがあります。
とてもよくできた施設で、
原子力エネルギーについてわかりやすく「PR」してくれる展示がたくさんありました。
とても知的好奇心をくすぐられ、真剣に原子力について「学んで」いました。
しかし、当時、なにか違和感をもったのも確かである。
今思えばこそですが、
安全性については技術と何重にもとられた対策で大丈夫ということとして
(実際には全然大丈夫ではなかったが。。。)
なにより、最終処分の方法とその仕組みが決定的に無理があったからなのだと思う。
発電のために「計画的に」核分裂を終えたウラン燃料は
その後も長い年月にわたって熱と放射線を出し続けます。
そのため、放射性廃棄物として地中深く埋めて最終処分されます。
ガラス固化などいろいろな固める処理をして漏れ出さないよう対策をするが
結論的にはただ埋めるだけなのです。
地中の微生物が分解してなくなってくれるわけではない。
それは本当に最終処分なのかという違和感です。
増え続ける放射性廃棄物をいつまでも限りある大地に埋め続けられるわけではない。
あきらかに無理があるのです。
やはり、原子力発電はこのまま推進すべきではない。と私は強く思う。
もし未曾有の自然災害がなかったとしても、どのみち破綻する予感がするからである。
現行方式の原発は、新規計画は途中であっても全てストップすべきである。
稼働中のものも、まずは早急に現状で出来る限りの安全対策を講じた上で、
中長期的視点で、中止による発電エネルギーの減などを計算して、
計画的に段階的にストップして行くのが妥当なところであろう。
しかし、
だからといって原子力すべてを否定するのはこれまた違和感があるのです。
人々は反原発といいながら、停電には怒り、短期的には過度な節電に協力しても
持続的な減エネルギーの生活をもとめてはいないからです。
生活水準を維持向上させるために、人間は常にエネルギーを必要としている。
今、反原発だからといって、盲目的に騒いで、すぐに原発を止めたとして、
その結果、電力不足のために多岐にわたっておこる様々な影響に
文句を言わない人などいないでしょう。
これまた、
あきらかに、矛盾しているのです。
原子力を捨てて自然エネルギーに転換すべきという議論も大切ですが、
それは、まだまだ検討が始まったばかりの段階ではないかと思う。
現在必要とされている世の中の状況に比して、あまりにエネルギーの効率が悪すぎる。
物理学的には、原子力つまり原子核由来のエネルギーは、
現在、最も高効率のエネルギーであることに間違いないのです。
放射線など安全の確保や、最終処理の問題などを確実にクリアできれば、
究極的に環境負荷の少ないエネルギーとなるポテンシャルを秘めているのは明らかです。
(放射線を出さずに核分裂する物質を発見できたりしたら最高なんですが。)
決して、今、放棄すべき技術ではなくて、むしろ、将来頼るべきエネルギーとして
一からその安全性の研究を厳密に進めて行くべきなのではないだろうか。
しかし、
その上で残っている、もうひとつの問題にも、うすうす気がついていて、
それも大きな違和感として残っています。
それは、
人間は高効率で大きなエネルギーを手にすると必ず武器にする。ということ。
核エネルギーに限らず、火の時代から歴史が物語っています。
今、太陽光などのエネルギーは善とされているが、
将来、技術革新が進み、効率を極めたら、
ソーラーパワーも必ず武器としての可能性がでてくるでしょう。
結局、人はエネルギーを欲し、それとひきかえに被った甚大な痛みも、
いつしか徐々に忘れ、そして発展の方向を間違えてしまう。
最も大切なのは、その痛みを後世に伝え続けて行くことなのかもしれない。

一級建築士事務所 ヒマラヤ

Architectural Design Office himalaya
info@k-hisano.com

神奈川オフィス(本社)

〒249-0006 神奈川県逗子市逗子7-1-57 #601
TEL 046-871-4833

熊本オフィス

〒862-0970 熊本県熊本市渡鹿5-5-7
MOBILE 080-5441-4790